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◆霊符の伝説◆

前漢の皇帝 “孝文帝” は、家相と風水の知識がとても深かったそうです。

 

ある日、孝文帝が弘農県を行幸した時、信じられないほどの最悪&大凶の家相を持つ家を発見。

この最悪の家は“三愚”(宅前が高く後方の地が低い=一愚、北側に流水がある=二愚、東南方が高く西北方に平地がある=三愚)であるにもかかわらず、不思議なことにたいそう繫栄し、そこに住んでいる者は全員仲良しで健康。笑顔で幸せに暮らしているのでした。

 

孝文帝は、家相や風水のセオリー通りであるならこの家は衰退しているはずなのに「なぜ繫栄しているのか?」と疑問に思った皇帝は、その家に入っていき

家の主人“劉進平(りゅうしんぺい)氏” に疑問をぶつけてみたところ……

 

 

「確かに昔は災難が多く、我々は不幸でございました。そんなある日、旅姿の二人の書生(一人は若く一人は年配)が一晩泊めてくれとやってきたのです。翌朝、大変感謝をされ、不思議な絵の描いてある七十二枚の紙を渡されました。『これは”霊符“と言うもので、大変霊験あらたかな札だ』と言って、祀り方など諸々を伝授してくれました。『この通りに修法し実践すれば、十年にして大金持ちになり、二十年にして家運隆盛、子孫繁栄となり、三十年にして白衣を着た皇帝が家を訪ねてくるまでになるだろう』 と言い残し、足早に出発していきました。ちゃんと御礼を申し上げようとすぐに追いかけましたが門の外にはフンワリとした一筋の白い煙が立ち上っているだけで、不思議なことに見通せる道であるにもかかわらず、お二人の姿は見えませんでした。その後、気になったので教わった通りにやってみたところ、予言通り大金持ちになり、子孫繁栄となり人も増え家運も盛り上がっておりますが……未だ白衣の皇帝が尋ねてくるという予言だけは、まだその通りになっていないのですよ」と答えたのでした。

 

これを聞いてたいそう驚いた孝文帝は、「我こそが皇帝であるぞ!」と名乗ったそうです。その後、これほど霊験あらたかな霊符は世に広げるべきだとして、編纂し天下に伝え、自らもよく用いたと伝わっています。

 

皇帝が擁護し発展させたものなので、基本的に家・身内・仲間内・組織内の調和や教化、保護・守護、立身出世が充実していると感じます。

※あくまでも私の実感です

また、歴史が長いのであらゆる願いや悩みに対応してます。

「そういった都合の良い霊符は……さすがにないだろうなぁ……」と探してみると必ずあります! 毎回驚きます。

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